例年の如く、昨年も秋から冬にかけて、市のアートイベントのお仕事にしめ縄づくりのワークショップと、とても充実した毎日でした。
自分へのご褒美に、本を。
私自身が読みたいものと、息子に読んでもらいたいものと。
その中の一冊『さよならのあとで』。
私自身が20代で経験した両親との別れがとても辛く、大きなものをなくした時に支えになる言葉を渡しておきたいという思いから、生きている間に息子に贈ろうと、ずっと思っていた本です。
昨年の大晦日に店主の父がお空へ旅立ちました。
火葬場で棺を見送る店主の背中を見ながら、私は、20年前棺を見送る際に、その前で跪いて泣き崩れた弟の姿を思い出していました。
その時、彼にかける言葉も、自分自身にかけてあげる言葉すらも知りませんでした。
両親との別れは筆舌に尽くしがたいほど辛いものでした。
『さよならのあとで』
息子に渡す前に、店主に渡すことになりました。百か日の法要が終わったあとに、店主に渡そうと思っています。
店主、昨年狩猟免許を取得し、近隣の山での罠猟の修行中です。
罠にかかった猪にとどめを刺し、山から持ち帰って解体して、そのお恵みをいただく。
命を目一杯感じて恵みをいただく食卓は、これこそが全うな『食べる』の在り方だと感じさせてくれます。
現代の暮らしが手放してしまった大切な根っこを学ぶことで、私たちが求めている暮らしの輪郭を、息子とも一緒に探りながら作っていきたいといつも思っています。
私たち人間も自然でできている−。
当たり前だけど、そのことさえも忘れさせてしまうような社会の中で、真摯に命と向き合って、息子に大切なことを伝えていきたいと強く思う冬の終わりです。
我が家の前に火が見えたら、息子が焚き火をしているかもしれません。
火を熾して、薪を割り、火に焚べる。一人焚き火も心配のない中学生になりました。
見かけた方は、どうぞふらりと焚き火寄り道されてくださいませ。