数学が大好きだった。
答えはひとつ。それ以外は間違い。シロとクロの間にはっきりとした線引き。
それが潔く、気持ち良かった。
私たちが暮らす社会には、シロにもクロにも属さない曖昧なことやはっきりしないことがたくさん。
そのぼんやりしたことたちや、それらを受け入れて許すことが、この世界を豊かに、優しくしているんだと思う。
そんなことを考えていた数日後、息子とケンカ。
家族との約束を守らない彼に、理由をたずねると、「どうしてあの時は許されたのに、今回は言われんといけんのんか!?」(←山口弁)
例えば、息子が疲れて寝てしまっている時は、約束を守れなくても大めにみます。私の中では、それはシロでもなくクロでもなく、グレーの領域です。
でも、シロじゃないからいけないなんてこと、これっぽっちも思いません。生きていたらそんなことばっかりです。
でも彼は、そのグレーが曖昧で嫌いなようで、はっきりしないことが腹立たしいそう。
「じゃあ、私がえらくて晩ご飯のお当番の日にお台所立てんくて、他の人にお願いするのは?」とたずねると、「それはシロ。」と息子。
私「でも、約束は守れてないんよ?」
息子「いや、無理なんやからシロ。」
私「じゃあ、この間は疲れて寝とったからやらなくてもいいと思って大めにみました。それはシロってことよね?じゃあ、今回約束を守れんのは?」
息子「・・・・・」
いけないことは、いけない。
でも、世の中、シロとクロだけで考えて線引きしてたらとても窮屈だし、それ以外のことを許すことで世界が優しい方向へ向かうんじゃないかという私の考えを伝えました。
いろいろな話ができるようになったけど、やはり中学3年生の息子とのやりとりは難しいと感じることたくさんです。
息子が14歳なら、母としての私も14歳。いわゆる思春期の息子と向き合うのに迷って、子育ての本をよく開いています。
先日読んだ図書。
核家族化にともなって起きた家族のあり方の変化、社会の価値観の変化について書かれていました。
家庭の中での子どもにかける目や手が減って、母親は父親の役目も背負うようになり、それに伴って家庭の中から母性が著しく欠けてしまったとありました。
私もそれは常々感じていて、更には家庭の中にあるはずの教育まで姿を消してしまったと感じています。
先日、『ビリーブ 未来への大逆転』という映画を観ました。
数十年前、当時まだ差別下にあった女性の地位向上のために奮闘されたルース・ギンズバーグさんのお話です。
確かに、女性という理由だけで差別をされるのは、許されてはいけないことだと思います。
が、女性の社会進出が盛んになったことで、家庭から失われてしまった大切なことが、本当にたくさんあるのもまた事実だと思います。
要は、バランス。バランス、大切です。
店主の仕事のお手伝いも、自分のやりたいことも、全力ではできていないけど、私にとって今の時点で一番大切にしたいのは、やっぱり家族。
もう少しの間、息子と向き合って、時間とちっぽけな知恵を捧げたいと思います。