器用貧乏

    

「なんでもできるね。」と言われるけど、『あたしゃ、何にもできないよ。』と思っていました。

でも、やっぱり私は手先が器用なんだと思います。

お洋服をつくったり、編み物をしたりはもちろんですが、いろいろな手仕事をします。

初めて編んだ竹かご。昨年の10月から教室に通いはじめて、1月に完成!六つ目編みという編み方で編みました。

わら細工も好きです。

もち米のわらでつくった釜敷き。お鍋につぶされてだんだん焦げ目がついて、ぺちゃんこになっていく様子も楽しい♪

麦わら細工も大好きです。

去年の6月頃に収穫された麦わらがまだきれいに保管できているので、ヒンメリやソダスをつくります。私がつくっていると、息子も隣に座ってつくっていることもあります。すごく幸せな時間だと感じるし、また子どもの教育にもなっていると信じています。

窓を閉めているお部屋の中でも、ふとした拍子にまわり出すヒンメリやソダスに、よく見とれてしまいます。

息子が幼稚園児だった頃、「器用貧乏だね。」と言われてピンと来ませんでした。今は、私を表すのにぴったりな言葉だと思っています。

器用貧乏とは、【なまじ器用であるために、あちこちに手を出し、どれも中途半端となって大成しないこと。】だそう。

でも、暮らしをつくり、彩るのには、器用貧乏万歳だと思うのです。

−お料理もできてお繕いもできる。必要な道具もつくれて、質素な装飾品をつくって暮らしを豊かにできる。

素人仕事で暮らしはまわるし、手仕事があることで暮らしはとても豊かになり得ると思うのです。

「俺たちの仕事は、やっぱり息子に何らかの影響を与えとるよな。」と店主と先日話しました。息子もつくることが好きだし、その楽しみをよく知っているのだと思います。

店主のお友達とはフライフィッシング仲間。先日はフライの会でした。どちらの毛鉤が上手に巻けているか、30くらい歳のはなれた二人が盛り上がり、競って毛鉤を巻いていました。

 

思いがけず早く始まった春休み。初日の今日は、竹で釣竿を、木を削ってウキをつくって過ごしていました。

息子の将来がどうか幸せであるようにと、祈らずにはいられない世間の情勢です。

 

 

この数日で、店主に羊毛をとかすためのハンドカーダーと、糸を紡ぐためのスピンドルをつくってもらいました。糸紡ぎの練習をしよっと!

器用貧乏に拍車がかかる日々です。